しばし‟ピアノ”の世界にいられた日曜日
昨日の練習不足を補うことを要される日曜日でした。
でも、お声をかけて頂いていたロシア作曲家ピアノ曲の
公開レッスンも、来月少しあらたまった感じで弾くことになっているmasaと
私には必要な勉強の機会だと感じるところが膨らんで、
出かけてきました。
ロシアピアノ史の第3世代を引き継ぎ、ラフマニノフ、メトネル、スクリャービンらを世に送り出したと言われるアレンスキーのピアノ曲は、短命であったこともあるのか、
ロシアでも、最近重要性が広まってきた感じのようで、日本ではまだまだ。。
でも、ショパンのノクターンやエチュード、リストの技巧、などの
様々な練習になり、かつ音楽的にとても素敵な小品が沢山あるということが、
同氏のピアノ曲の演奏会を聴き重ねることでだんだんわかってきました。
今日は、それらの曲を使った初めての公開レッスン。
どんな事を言われるのか、というのは、基本的には他の公開レッスンと同様、
masaと同じところが沢山あって、どれだけ言われていることと自分の響きをちゃんと聴けるか、ということなのだな、、それをリラックスして自分の中に落とし込んでいけるかどうかは教えてもらう側の素養というよりは、師との間のコミュニケーションにも
よるのだな・・と確認しつつ、
レッスン中のやり取りの中で、
講師「ここは、もっと会話みたいに、話しかけるように、って、思って弾いてる?」
受講生「一応・・思ってます・・」
ここで
‟でもそう聞こえないんだよな~、”と言わない。
講師、「思っていても、思い通りにならないことが多いのが世の中。(;´∀`)」
この一言、座布団一枚♡いただきたい!!☆と思いました。
それにしても、中学生になるかならないかの年端で、
大人が使う言葉を一発っでよく組み上げるものだと、
そちらの方に感心していました。
言葉の理解力が低い弾きては自分の感性に頼る以外にない、けれど、
教えてもらったことを吸収したほうが効率が高い凡人優等生派は、
言語能力が高い方が圧倒的に上手くなるスピードが早いので、
あるところまで行きつくのはとても早くて、それが、ともすると
親を誤解させることになるのかもしれない・・
その理解力と、本人の感性と、周りの期待のバランスがとれないと、
せっかく上手なのにやめなければならなくなるんだろうな・
今日最後にレッスン生として壇上で弾いた女の子は、
とても上手でしたが、とても”いい子”になろうと努力しているように見えて、
少し心が痛みました。もう少し、自分がホッとする時間、つくってもいいんじゃない?
と声をかけたくなるほど、可愛くて、とてもたくさん頷くきれいな髪の女の子でした。
私は、この子たちのころ、どんな子だったかな・・・