‟枠”を取り外すことは意外に難しい
マヤ暦で260年が1年とされている、そのしめくくりが明後日参ります。
その準備もかねて、今日あたりはお部屋を掃除したり、
心を軽くしたりするのによい日だったのだと思います。
その暦で言うと、今日は‟白い鏡”。
物事をそのまま映しだす性質とともに、枠を伴う性質を
自らあらためるにも良い機会の1日でした。
それなのにね。。
その相手を取り違えていた私。
masaの演奏タイムの出来栄えが、自分の敷いた枠から
はみ出た態度だったと感じて、教育するつもりで戒めの説教をしたことを
思いながら、今頃になって、「あ、・・自分が作っている‟枠”が頑ななことをわすれていたのだろうか・・」と、、自分を苦しめる結果になっていることに気づき始めています。
自分の枠をいかにゆるめ
無限と共鳴することができるのか、振り返ると
それは深い課題です。
今朝早すぎる時間に目覚めてしまってから、
自分がパートナーから受けた数々の心の傷が走馬灯のようによみがえっていました。
古いものはもう20年もたっているシーンなのに、その一つ一つが
まだ自分の中に傷として癒されず流されずに残っていることを知らされると同時に
やっと、自分の前に顕わしても大丈夫な程度に傷が薄らいできたと、深い意識が認識した、ということなのだと理解しました。
でも、このような傷についても、
もしかすると、自分が敷いていた‟パートナーとして当然”とおもっていた反応への
期待や思い込みが、傷を深くしていただけなのかもしれない、
と、思い直せばどうなのだろうか。
そんな風に視点を変えれば、自分自身がもっと楽になるよ、
と教えられる夢だったのかもしれません。
今日は、他にも家族のできれば知りたくない一面に関わったりと、
すっきりと流せない、周りがみんな磁石の同極のように
離れて行くように感じる一日だったので、明日はそれを取り戻すつもりで
晴れやかに生きたいと思います。
こんな日もある。
大丈夫、大丈夫。
夕飯クリップ☆彡
春ニシンの季節です。生の立派なニシンは、塩焼きにしました。