~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

朔日参り

朝、masaを送りに出た時間が遅くて、車で現地まで送ることになり、

帰宅してホッと、しながら洗濯物を干していると、

何となく、今日が1日であることを意識していたからか、

神宮に呼ばれているような気がしました。

それで、まだ午前中の陽があるうちに、行ってみました。

 

10時になる直前の神宮は、平日の午後ほどではないけれど、それほどの

混雑でもなく、すんなり入れました。

 

でも、お参りが終わったあとの、茶屋での‟判官さま”に並ぶ列は

かなり長くて、いつも寄る訳ではないのですが、

今日は一人で来たのでお土産を、とその列に入った私でした。

 

そして、順番が回って来て、やっとわかったこと。

 

一日参りの日の‟判官さま”は、無料でいただけるのです。

だから、皆ならんでいたんだ・・。そういえば以前聞いたことがあった

かもしれませんが、とっくに忘れていた私。

 

ホッコリの行列の末に、さらにホッコリさせていただきました。

 

神宮の駐車場を出ると、その入り口を目指す待ちの車列は

いつのまにかお正月並みになっていました。

一日参りって、こんなに来るのですね。

 

『10時前』が、ポイントだということも知り、良い

タイミングで運んでいたことに感謝です。やっぱり呼ばれていたの

かな。。いえいえ、

『参り』とされている時点で、一日には呼ばれている、ということなのだそうです。

 

初詣、は『詣でる。』自ら出向くときは詣でる。なのですよね。

『参る』は‟参上”の参。

呼ばれて行くときに使う言葉です。

ですから、「朔日詣で」と言わずに「朔日参り」ということは、

神様に呼ばれて、参上しているのですから。

全てがすんなりいくことも、理解できる有り難い成り行きです。

 

神様は、「三十日詣で」で前一か月のこの者の立ち振る舞いを見たうえで、朔日(1日)に、この1ヵ月にこの者にはどのような成り行きを

授けようかと、考えて、授けてくださる。だから、

お呼びくださる、という意味なのですね。

 

この歳になって、やっと意味を意識して参上した朔日でした。

夕飯クリップ☆彡

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