心配ではなく、応援される人になろう
昨日、‟ゲシュタルトの祈り”を心に刻んだはずなのに、
masaのピアノの練習の様子に、どうしても‟あなたはあなた”と流せずに
、熱くなってお互いが涙ぐむほどになってしまいました。。
もっと、自分がどんな人生を歩んでいくのか
主体的に、積極的に取り組めることを選んでやってもらいたい、
という気持ちを、一生懸命伝えたつもりです。
私とmasaはそもそも違う人間なのだと
モチベーションが上がるきっかけも、好きなポイントも
同じことをしていても違うし、頑張り方も違うのだと
分かっているはずなのに、
今の私たちの置かれている状況に後押しされて、
自分のことをもっとしっかり考えて行動してもらいたいという
思いが、こんな時間をつくってしまったのだと思います。
その後、公文があったので一人になれた時間の間、
後味の悪い後悔に襲われ、
その後、masaを再び迎えに行った時には
「音楽をやっている時は、いい気持ちでやりたい」という
自分の悔いと反省を伝えました。
本当は「私たち、どうなるのだろう」と
全く感覚がわからなくなっているのは自分で、
様々な日常を保っていることさえ、大きく揺れているなかで
必死につかまっているから、このようにmasaを追いつめるような
言い方をしてしまうのだと、本当に落ち込みます。
一昨日落ち込んだばかりなのに。
公文の先生からは、「kumon、やっていていいんですか?」と
思いがけぬストレートなお言葉に、「はい!今の所は。お月謝が苦しくななったら、一科目やめます。」と言っている自分が、人というのは、本当に弱いとこういう返事が口から出てしまうのだということを初めて経験しました。もう、とっくに一科目はやめなくてはならない状況なのに。
(先生はその事を漠然とご存知なので、ストレートに言って下さったのです)
でも、経済的な痛手よりもずっと、心労になっていることは、
masaの家族が無くなってしまうということで、長年masaの生活の一部だった教室での時間を失ってしまう、その孤独感の方がずっと痛手なのだということに気づいています。
支離滅裂な綴りになっていることをお許しください。
その教室から帰宅して、見つけた宅配ボックスの荷物は、
中学を卒業して以来、一度もあっていない友人からのギフトでした。
年賀状だけのやり取りで続いていて、メルアドも電話を知らない
もと‟戦友”。
私が試練の中にあることを具体的には知らせていませんが、年賀状の雰囲気で感じたものがあった、と、紅茶をおくってくれました。
ご自身の大病のことを私も知りませんでした。
2回も手術を終えた、彼女の強さと思いやりに心より感謝を覚えました。
「心配される人より、応援される人になりたい。」
そちら側へ、今行きますから。
明日へ向かおう。