~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

今、”命”です。

庭に出たら、四季咲きの第二弾がちらほらと、咲き始めていました。
固いつぼみがかわいい・・。
            
そして、どうやら撒く時期を逸して種を弱らせてしまったのだとみえる
インゲンにも、やっとお花を発見♡。
          
小さく、はかなく見えるものが、なぜ人を惹きつけるのか、
それは守ってあげたいという母心ではなく、これから咲くのだという
エネルギー満々の最も強い子たちだからなのだと、そういうものを
求めている時には特に感じます。

咲き誇る紫陽花の大輪よりも、ぐっとくる、生命力。

そういえば、今年傘寿を迎えた加山雄三さんが、
昨日の歌番組の中で、この人生を漢字一文字にすると?という投げかけに、
  『  』
と書かれていたのが印象的でした。

時に命の一部を削り、また命をいただきながら、
一日ずつ命を繋いできたから今があるのです。
戴いた命とは、身体の為の食物もですが、親たちの人生の一部も呈してもらって
今の私があるのだと、しみじみと感じていました。

偶然父親のバースデーに間に合うように、今日発送するカードにも、
その感謝の思いを目一杯書きました。

そしてこれまで、私が買えるようなもので、喜んでもらえる物を探すのは
難しいと思っていたこの何十年を廃し、何かちゃんとしたものを贈らなければ、
と思いました。
(思うのがちょっと遅すぎる・・・)


‟命”というと、病気や生死に視点がいきがちだけれど、
本当は、毎日が命。今が命。
そして、体が伴っていること(魂だけじゃないの。)が命。

そういうことをつくづく実感されて、
加山さんの答えは『命』となったのだと、解します。

こどもとの時間も命。子どもの命でもある。
時間を共有してもらった仲間との時間も命。
偽りの時間に命を分け与えるのはよそう。
偽りを人に与えることもよそうよ。
与えられた側の人の命の一部を汚したシミは
戻って消すことができないから。
命は繋がっているから。

でも、一番忘れてはいけないのは、‟今が命”であること。


どの時間も、全部『命』であることを、ちゃんと覚えておこう。
そうすれば、もう少し今(=命)を大切にできるでしょう。

夕飯クリップ☆彡