~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

気づきを得たい

『最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である
           チャールズ・ダーウィン
という言葉を見つけました。

受け入れるだけでは不十分なのか・・・。
それを消化し、自分の中で糧にするということは、
自分の外的環境を変化させるということなのだとは、思考の中で直結していなかった私にとって
別の所から発せられたある投げかけとともに現れたこの言葉が刺さってきました。

環境(の変化)にどれだけ適応できるか、そしてその努力をするかは大切だと思います。
それが分かっていても、その努力がなかなかうまく解決に結びついていない、と
感じる時が最も停滞する時なのだと思います。

環境のせいにばかりしているわけではない、
その現実が自分へのギフトであると受け止めたうえで、
自分が可能な方向を広げていく。

これで、大抵のことはうまく行くはずです。
自分が動いていけば。

それでも、追い打ちをかけるように変化を迫られている時、
自分の中での変化だけでは追いつかないとき、
何を優先して考えれば良いのか、
そこで詰まってくるのだと思います。

特に子どもの人生観に関しては、
裏切ってはいけない、という慎重さがガンとしてそこを動きません。

自分の中で変えられるものは
多少の苦痛は覚悟し、勇気をもって変える努力をしてみましょう。
しかし、
masa自身が作ってきた彼自身の周りはよい事が集まっているので余計に、
そこは今の状態でOKなのだ、というサインに見えるのです。

しかし、again
今がうまくいっていないということは、何か変化させなければいけない
。。というメッセージを目の前にすると・・・。

黙って受け入れ、少しでも早く慣れる、ということで切り抜けようとすることを
非とするということならば、もう少し分かり易い、
明るいヒントをもらいたい、と思う今です。

‟柔軟性”という言葉を自分の生き方のどこにあてはめて考えているのか
これも観点かもしれません。

柔軟すぎる環境の中で年をかさねて、
その反対のゆるぎない環境で育った人のみが持つ、一貫性・大安心に憧れた大人が、
自分の人生の中では、我が子へは達成しようと目指していた、その目標さえも
変化させることが、自分らしさに繋がっていくのだろうか・・・。

そんな問答を繰り返す中、

ダーヴィンの‟変化”という言葉が示す時間的スパンは、
精神的な安定感を欠くような急激な変化ではなく、
ゆっくりゆっくりの、体と心が耐えうる速度での”変化”なのだということに
ふと気付きました。

「はい、あなた、明日から変わりなさい。
はい、あなた、明日からあれはありません。
  
状況が変化しました対応しなさい。」

そういうことで生物が進化してきたのではないのでした。
そんなに急に、道を直角に回るように、
続いていない道を横に飛び越えるように、言われても
体と心が付いていきません。骨折です。

状況を具体的に理解し、できる事を整理し、動いて準備する
という順序のどれ一つを欠いても、積極的な判断をしていくことはできません。
そして、
各々がそうした自らの対応を判断するベースを与えられることこそが
”人権”という言葉に当たるのだと思います。

例えば人権を侵害されている、人がいたとして、
そこから離れなさい、と言われて
離れられるだろうか。
変わりなさいと言われるだろうか。

『自己変革』という言葉をどのようなレベルで捉えるのかということを
考えることは、結局は動いていないことになるのだろうか。。。

自分の不安の元は何か。自分は何を考えていまこのような状態になっているのか。
自分が大切だと思うことは何か・・。
masaには嘘はつかない。隠し事はしない。
その事だけを、彼に話しました。
彼にわかる言葉で、母のうつろいを、語りながら過ごしていた夕べです。

夕飯クリップ☆彡