" 出して”。
呼吸に関しての記事を昨日marie先生にシェアしていただいて、
そのページを眺めておりました。
‟生と死を象徴する呼吸”
‟吐く”(吐気)が「生」を象徴し
‟吸う”(吸気)が「死」を象徴している、ということを
あらためて考えていたら、
生きていく上でのエネルギーに関わるものの全てに共通する
原則が、ここでちゃんと教えられているではないの、と。
自分と周囲の間に出入りするエネルギーというのは、
「出す」ことで生きる方向に進み
「得る」「取り入れる」ことは終焉に向かっているのだと。
精神的なものも物質的な物も。
実ったものは、種にして撒かなければ新たな生は得られず、
「出す」という行為はどれをとってもそのまま‟生きている、ということなのだと。
どんどん出していくことが‟生きている”原型なのだと理解すると、
不思議と次々の行動についていさぎよくなるというか、楽に動いていくことができました。
そして、よかったな〜・・とほのかな感想を省みながらふと、
‟よい”ものを出しても、‟悪い”ものを出しても、生きている営みという点では
同じなのだとも気づきました。あつかましいことに、自分が‟出す”と意識する物事は、
‟良い‟ものに極端に偏っているということにも気付いたのです。
良い物も悪い物も出していい。
それが生きているということなのだと。
悪い物を出すのは悪い物を受け取ったからかもしれないし、
自分の中で換気する間に劣化させてしまった魂のかけらなのかもしれません。
行いは勿論ですが、態度や言葉のどこをとっても
純度の高い‟良い”ものを出して、地球を汚さないようにしたいものです(*^-^*)。
‟良い”ものを‟出す”ことだけを考えて1日を過ごしていると
よいのですね。