~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

いろいろ

寝静まったmasaの部屋の様子をこの時間に感じる時、
きっと、‟もっと一緒に時間を共有したい”
そんな気持ちを1日心の中に押しとどめて、
ただただ待っていた、・・・・のだろうな、、と
ひしひしと感じます。

家事や食事の支度と、決まった習い事の予定の時間だけ
ソファを立ってそれらをこなし、
後は、視線をmasaに傾けることも殆どなく、ソファに座っている母に、
masaは  (でも、忙しそうにしてる・・)と思いながら
きっと静かに自分で時を過ごしていたのです。

このところ日課になってきたmasaの朗読タイムも
私の隣りに座って時間を共有できる、そんな気分で続いているのかもしれません。


これまで、masaの活動の質が少しでも上がるようにと
様々な面からのバックアップに1日の時間を捧げ、それができる限りの自分の
努めであり目的であると思い進んできた生活が、今
経済的環境の変化により大きく揺らいでいます。

masaの生活の質やパフォーマンスの質が上がることで得る喜びと
引き換えにはならないものの、どのような時間の使い方をすれば
支出に見合った収入を賄うことができるか、、を
つい考えて、
考えるうちに、時間が過ぎてしまうのがもったいないから編み針を動かす。
気付くと、大半の時間を掃除をしたり編み針を動かしたりして
masaが止まらないために最低限こなしておきたいタスクに付きあうだけの1日になってしまっています。

自分やmasaの世界を広げていく方向への行動に繋がるどこかに
生活を維持する収入を得られる道はないものか、

自分の好きなことはこれです!って、
それを示してやっていくことだけが、道でしかないように思えたり、

また次の瞬間には、手軽に始められる車送迎のパートタイムのチラシや
行きつけのお店の品出しアルバイトの募集掲示に、頭が稼働曜日や月収入の計算を
していたり、
時給と時間と体力を交換するだけのお仕事を
ここにきて選ぶのは正しくないと思いながらも、ここなら近くて通いやすい、と
考えている自分がいたり。

自分のものについて我慢することはなんとも思わなくても、
子どもの‟事”(人生も、時間も、モノも)を経済的理由で切り捨てていくことは
本当に辛いことなのだと、それはしたくないのだという心理が
今の私の1日を時間が分からなくなるほど編み物に没頭させています。

masaがこれまで積み上げてきたものを含めて、活動を継続できるための
経済活動が何らかの形で必要です。

夏ライブの弾き語りの楽譜を書きなおさなくちゃ、と
いつもならギリギリでも間に合わせようと、五線譜と格闘しているこの時期ですが
資金面から、その本番があるかどうかもあやふやな練習を
masaと行う、ということと、経済のバランスを保つための手段を講じることを
2極同時に行うという天秤棒は、重すぎます。
結果、どちらも膠着状態。

その中庸を走っているのが、編み花の制作という作業ということなのでしょう。


目がしょぼしょぼしてきて、「もう寝よう」、と
今日をあきらめる時間になると、今日も
ひとりで何か月も先のカレンダーまでめくって見ていたmasaの姿を切なく思うのです。


夕飯クリップ☆彡