~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

デフォルトに戻ると人生けっこう楽かもしれない

自分の周りの空気を変えたい時、その方法として
掃除、断捨離、模様替え、引っ越し、旅行、などが挙げられますが、
今回、たまたま一週間家を空けることになった時は、旅行ということでもなかったので
上記の効果があるということを期待はしていませんでした。

ところが、行き先がどこであっても、1週間家をあけるということで
自分の中がいつの間にかリニューされていることに気づきました。

日常を営む自分の中に、澱んだ気分が鬱積していないのです。

いつもの通りの作業やタスクを、いつもの通りにしていくのですが、
旅に出る前は、その繰り返しの中で、
「今日はこれができなかった、」とか、思い通りに行かなかったことに対する
不満足や小さな自己否定が、うっすら積もった見えないホコリのように
何気ない事をする時間にさえふりかぶ
それに加えて、その日の予定をうまく全て入れることができるように
という計算をしている・・。
頭の半分が「過去」と「未来」のことを常時考えている状態であったことを
実感しました。

過去と未来に囚われず、「今」を見ようと
あれだけ思っていたのに、です。

1週間家を空けるということは、
その週の全ての日常(習い事や、宿題、集配受け取りや連絡などから家事や買い物まで)を
一切合切お休みにする、ということ、
それらに不備が無いように、とオンにしている頭のスイッチを全て
オフにすることを自ら許す状態を作るということです。

これによって、頭の中は「未来」について、調整しようと身構える必要がなくなり純粋に‟その時”だけのことを考えていて良い、というかんきょうを与えられます。
日常を逸脱する効果をこれ程感じるとは、意外でした。

帰って来て以来、やっと、ほぼ日常を取り戻した1日を過ごしてみると、
1週間オフにしていたために、前日から持ちこしている物事が何もないまっさらな状態
がベースなので、何をしていても、「時間までにここまでやりたい」「やらなければ」、
という気持ちが湧きおこらず、本当に平和で軽やかな気分でいられました。

同じように1週間のお休みをとっても、家で過ごしていると
「お休みだから、」という理由でしておきたいことリストが頭の中にできあがり
完全に家の中ですることを放棄することはできません。

日常を‟100パーセント棚上げするという意味で、
旅に出ることは、その行先がどこであっても
帰宅後の自分をデフォルトに戻す、大変有益な手段でした。

軽やかな状態が続いている間に、いつもの自分がどのような部分で「過去:と「未来」に
囚われる傾向があるのか、分析しておきたいと思います。

夕飯クリップ☆彡