~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

‟正しい”を集め持っているひとが偉いのではない

masaが音読していた文章につい聞き入ってしまいました。

‟何時でも、正しい事だけをしようと思っていると、、なかなか、何もできなくなるものだ。
人間は、なるべく気楽に、何でもやってみるのがよい

(‟考えるより動く”は今頻繁に言われていますが、昔から言っている人はいるのです。)


‟・・しかし、中学生の時代というのは、誤るのが恐ろしい時期だ。・・・
なるべく正しい事を求め集めて、物知り競争みたいになりがちな所がある。
・・・正しい事をたくさん知っている人がすごく偉く見えたりする。
これは本当のところは、たいしたことではない。
人間にとって、正しいとわかっていることよりは正しいか誤っているか、
わからないことの方がはるかに多い。どうせいつかは、正しいかどうかわからぬことをに出し、正しいかどうかわからぬままに行動せねばならなくなる。・・・・・・・
「正しい意見は堂々と言いましょう。と言うのは、奇妙なことだと思う。
「正しい」とわかりきっていることなら、わざわざ意見を述べて討論するほどのこともない。正しいかどうか、あやしい意見を述べてこそ、討論にあたいするのだ。そして、文化的創造といったものは、そうしたことからしか生まれない。
「正しい」事がきまっていては、おもしろくもない。・・・”

こんな感じです。
前半は、今のスマホ世代の若い大人たちがネットの過多な情報を集め
正しいとされるインデックスをたくさん持っていることが‟有能”だと
勘違いしがちなレベルは、アナログ世代の中学生レベルの錯覚であることを
言葉にしてくれていて、ちょっとすっきり。

後半は、‟正しい”はない、というところで奏法をあれこれ研究している
masaのピアノとまさしく同じことね。
‟正しい”がないから文化的創造につながっていくのね〜、と感心。

そして、文章はこう続いて行きます。

‟討論にとって有効な意見と言うのは、正しいかどうかで決まるのではなくて、
それが討論を発展させるかどうかで決まる。・・・”

(ここは、夫婦げんかの前に読んでおきたい(^_^;)。)

ほかにも、ドキッとすることが書いてありました。

‟うちこむことが何も見つからない、と言う人もいる。べつに、何かに化に打ち込む〔べき〕とは思わないし、無理に探すこともないと思う。たいてい、夢中になる「意義」のあることとか、夢中になっておくと「後で役に立つ」ことなんかに目を向けるものだから、なににも打ち込めないのだろう。・・”

この辺りでウロウロしている若い人に、読ませてあげたいです・・・。

       (以上 『まちがったっていいじゃないか』森毅 著より抜粋)

正しいと思われる結果を最短でつかみとることが人生の目的なら、そもそも
人生なんて必要ないのではないでしょうか?
どれも正しいし、どれも幻想。
外れた思惑や思い通りにならない結果の中から、学び、
誤りのなかからこそ真理が浮かび上がることを、活字で読んで実感できていれば
もう少し早い段階の人生に生かせたのだけれど・・・。

本は見識を深めるとはよく言ったものです。
中高生よ、本を読んでください(*^-^*)。

夕飯クリップ☆彡