~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

悔しがってくれる親はありがたい

この歳になってやっと気づいたことなのですが、
何か失敗や挫折があった時、親や周りの人がすごく悔しがってくれたり
騒いでくれたりすることを、とうの本人は冷静に眺め客観的に眺めているような
状況というのは、

実は、そのショックを周りの人たちが肩代わりして吸い取ってくれているから
そうしていられるのだと。

おめでたいことについては、
周囲の人が盛大に喜ぶことによって、その喜びがより大きくなる
ということは、結婚式や誕生パーティなどで体験を重ねるにつれ
実感していましたが、

逆にネガティブなニュースに対しては これまで
大騒ぎしないで放っておいてあげた方がいいのではないかと
思っていました。

でも、やはりそんなことはないんです。
「あ〜〜、残念!!」と思いっきり、自分以上目を赤くして残念がって
くれる存在に護られて、自分が受ける傷が浅くなっているのです。
妥当な結果だ、とか予想していた、とか
そんな言葉が自分の中に浮かんできていても、やはり心の深いところでは
がっかりしているもの。それが当人にはすぐに浮かんでこないだけで、
心の奥にはショックが記憶として残されているはず。
それを、傷が生乾きのうちに、表に出して代わりに思い切り悔しがってくれる
親近者は、本当にありがたい存在なのです。

そんなことを考えているうちに、
これは人の育ちに通じることだとつながりました。

親から失敗を「仕方がない」と冷静に対応され続けて育てられた人と
とても悔しがってくれる親に育てられた人とを想像すると
前者はいつも‟大人”のふりをしなければならないという孤独感を背負って
成功しなければ評価されない、という価値観を与えられるのではないでしょうか。

結果に至るプロセスや、(結果が伴わなくても)自分の価値はかけがえのないものだ
ということを、ことあるごとに保証され
「君は期待されている」と感じさせてもらえることは
人の心にとって重要な支えです。

迎えている受験シーズンも勿論、大小さまざまな挑戦は
そんなことを確かめるプロセスとして与えられているとも言えます。
結果がよい事は一番ハッピーですが、
のぞむ結果に届かなかったときの反応にも
人を育てる力が宿る、このことを覚えておこうと思います。


夕飯クリップ☆彡