聖徳太子
ちらっと耳にした情報番組で、
聖徳太子が”厩戸皇子”(ウマヤドのおうじ)と変えられるのだと知りました。
変えられる、というよりは、そちらのお名前の方が正しいのだそうですが、
ずっとさきの世で、自分が長老の立場になった頃、‟聖徳太子”と言っても
伝わらない日がくるのは何となく悲しい、、、。
‟鎖国”という表記も無くなるとのことで、
自分の孫とかに比喩的に鎖国を使っても、「お婆ちゃんそれ何?」
っていう事になるのか、と思うと、
日本人全員が知っていた常識が死語となる変化にいささか以上の抵抗を
感じます。
こういう事をあまりしてしまうと、
学校のテストのために覚える、ということをしたくない子どもたちの
よい逃げ口上になってしまいそう。
聖徳太子も鎖国も、重要用語だったはずなのに・・・。
歴史的事実を、言葉で覚えても意味が無いという価値観はやがて
同じ義務教育を受けても、世代による共通認識が公に異なるという状況を
生み出してしまうのではないかと、
それは、新しいツールは若者に教えてもらう立場の年寄りでも
知識はきちんとある、という底力も保証されなくなるということでは
ないですか。
言葉足りな、ですが
危うさを感じる、この度のニュースでした。
できる事ならば、‟歴史を教育してきた歴史”も併せて
教えてもらえる教科書にしてもらいたい、と思います。
夕飯クリップ☆彡
今日の炒めもものはレモン味でした。