~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

光を食べて生きて行ける、と言われて

書店の棚を眺めていたら、‟ほぼ光(プラーナ)だけを食べて生きている女性”
というような帯がついた本に出会いました。

おおっ!
これぞ私が理想としていた身体♪とうとう現実になったのか・・・
と、、ブロンドの髪の女性の写真が表紙のその本を手に取って
目次にざざっと目を通しました。

その女性は数年間光だけで生きているようで、
そういう身体になる過程が綴られているようでした。
透明度の高い言葉がならぶその目次を観ながら、
なぜか私の‟読む気”は燃え上がらず、そのまま棚に返してしまいました。

「光を食べて生きていけるようになったらいいのに」と
何年も前から時折言葉にもしていたはずなのに、
それがいざ現実になりそうなゲートを目の前にすると、
「まだこの方のようにはならなくていい・・」と反応していました。

光だけを食べる、ということは、
もう美味しい物を食べなくていいという事なのでしょう?
美味しい物で幸せを感じる、お茶で暖を取る、肉体あってこその
この楽しみが全くなくてもいい、というのは
もともと全能の魂が痛みや感情を体験し楽しむために
身体をいただいてこの地球に降りてくる前の状態に戻るというのと
同じことで、
物質的な身体を持ってここに生まれている意味を
放棄してしまう、ということじゃないかと
気付いた訳でした。

理想が目の前に来た時、本当にそれが欲しい物なのかどうかわかる
という体験をした気がします。
そう。
私という身体も、光を食べるために生まれてきたのではないのです。

そして、これに気づいたのと同時に、
自分の目の前に並ぶ様々なハードルや縛りを自在にコントロールできないことが
そういう諸々も体験(楽しみにかえて)したくてここに生きていたのだ
ということを直接見せられた気がしました。

この世を去ってしまったら、そんな制限も何もない、
自在に全てが手に入ることが当たり前の、‟光を食べて生きて行ける”魂に
戻るのでした。。だから、
今、目の前にあることは、全てここに身体を与えられて生きている
スペシャルステージの上に居る間だけのお楽しみでした。。。ああ、そうでした。

日々のもどかしさの中で、歩みを進めようとしている自分の豊かさを
ちょっと嬉しく思い出した出来事です。

夕飯クリップ☆彡