現状を作っている思考を抑えるために
人は1日に約6万回の思考をするのだそうです。
本当にその通りで1日を通して様々な事を考えていたような記憶はあっても、眠る時間を迎える頃には、書き留めでもしていない限りその具体的な内容は薄れ、潜在意識の奥底に沈殿していきます。
そしてまた翌日、その思考の入った瓶はシェイクされて下に溜まっていた同じ思考が再び沸き上がり、新しい一歩を踏み出そうとする意識や宣言よりもはるかに多い既存の現状を形作っている思考を繰り返します。
過去の嫌だった経験や失敗、繰り返しくないことほど、「ちゃんと覚えておかなくでは」とばかりに思い返す記憶に残り、それを毎日反芻していることが❝祈り”のごとく現実になってしまっている・・・
まあ、その現実化については置いておいても、
あれこれ頭の中で覚えておかなくてはならないことはそれほど重要な事ばかりではないはずなのに、余計な思考(6万回のなかの約98パーセント)が周りで廻り、一つのこと=自分の”今”に集中できない・・・そんなことを人は多かれ少なかれ感じて生きているのだと思います。
だから、マインドフルネスが流行る。
もともと、人は様々な方法で余計な思考から切り離れ、リフレッシュするすべを持っていました。
ランニングやガーデニングは身体をもくもくと動かすなかで、目の前の自分に集中できることを体験する人が増えて人気が高まっているのでしょうし、思考整理のメソッドとしての‟書き出し”も一つの方法です。手芸が好きな人は、編み物や刺繍などの手仕事も同じ効果があると思います。
どの方法も、今の自分を感じながらそこに集中するというアプローチは似ていますが、敢えてマインドフルネスがピックアップされ始めた理由はどこにあるのでしょうか。
これって、忙しさに縛られている(或は自ら縛り付けている)現代の社会の中においては、『自分に向き合う時間』『瞑想の時間』と柵で仕切ってあげないと、その時間をとることさえも難しいからなのかもしれません。会社でマインドフルネスの時間を設定するというのも、その時間を大義名分のもとで保証する、ということをしないと個人の自由時間のなかでそういう時間をとることが自然にできないほど、周りの時間の中を生きることを強要されている人が多いからなのかもしれません。
積極的に”人が大切な事を失わないために重要な時間”として、自分自身を感じ、喜ぶ時間を「趣味」ではなく「メソッド」として格上げしてあげないと、それを生活の中に取り込むことを許されない人が増えているということなのだと感じられます。
マインドフルネスも良いですが、‟余計な思考を激減させる”という意味では、読書は大変効果的です。内容を楽しんだり知識を増やしたりするために読むのだという既存の概念を少し塗り替えて、他の世界を覗き見ながら瞑想的効果も得られる、究極の人生お役立ち習慣として、読書タイムを増やしてみてはいかがでしょうか。
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