~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

灰色の記憶

小学時代からのmasaの泳ぎを知っているSコーチが
めったにお休みしないのに、珍しく長期お休みだったので
ご結婚でもされたのかと、私が他のコーチに聞いていたことを耳に入れていたらしく
迎えに行った私の方に上がってきて、ご挨拶してくださいました。

4週間ぶりに姿を見られてほっとした〜、という旨の簡単な会話だったのに
(おいおい、母国語です・・)
初めなんだかしどろもどろ。

考えてみると、今週はmasaの演奏タイムがなかったこともあって、
水曜日の夕方、ピアノレッスンで先生と交わした会話以降
72時間、masa以外の人と言葉を交わしていませんでした。

そう言えば…という感じ。

いまでこそ、masaのお蔭でほぼ毎日、どなたかと会話を交わすことができる
日々ですが、むかしむかし、masaが幼稚園に上がる前の数年間は
masaも話せないので)全く会話をすることなく5日とか7日とか
が経過していて、たまに実家から電話がかかってきたりすると
上手く話せなくなっていたことを思い出しました。。



コンビニやスーパーで買い物をする時代でなければ
商店ででお買い物するだけでもお店の人と結構会話ができたのでしょうが、
全く声を出さないままレジに並ぶ時世に入っていたので
本当に人としての機能を失いそうになっていた時代でした。

札幌や都会のママには想像もできないでしょうねえ。

田舎の公園には行ってもママ友はできないのです。
公園に行っても誰もいないことがほとんど。
母子が単独で遊んでいないのですね。
時々いても、我が子は子どもたちの方へ寄っていくタイプではないので
つながらない。。

地域住民の多くは近くに実家や親戚がいるので、遊び場はそこで賄えるらしく
同業者とか、親同士が同級生とか、官舎の中とか
もともと何かのつながりがある人同士で
どこかの家で遊んでいるようでした。

遊び相手をしてくれる親戚もいない、父親も殆ど帰ってこない。
住居が地上から遠い。社会的資源が乏しい田舎の町で
数百キロ彼方から嫁入りした私一人が、
運動機能がままならず社交性以前の問題をたくさん抱えていた当時のmasa
出て行く場所を見つけるのは至難の業でした。

なので、私は図書館に通っていましたが、
図書館も貸し切り状態の事が多くて、
同世代の子どもにあったこともない程で・・ね。

完全に‟孤立”していました。
精神的に病んではいませんでしたが、ただ、しゃべらないと
しゃべれなくなる、という経験をがっちりとさせてもらいました。



そんなこともあったな・・・
と灰色の思い出を思い起こしながら、
(そういえば、今日は暦の上でもネガティブな思いが湧きおこりやすい日デシタ・・(;´∀`))
今の幸せをかみしめる今宵です。

夕飯クリップ☆彡
              
               ラーメンサラダって言ってわかる人は、北海道の人です。
         
      これ、学校給食の人気メニュー定番です。懐かしい味を無性に食べたくなって・・。