読んでもらうと恐くない
演奏タイムがあった木曜日の夕方以降は、
ゆっくりとお茶をしたあと、どうしても解放感でいっぱいになります。
こういう時、最初にmasaが選ぶのは、読書。
本は、ゆったりした時に読むものだ、という感じが
masaの中にあるのでしょう。=ほぼノーストレスの時。
彼が「本、読も。」といってソファに座ると
私もティーカップを持って隣りに座ります。
カップのなかのお茶が無くなると、レース糸と針を持ってきて
手を動かしながら、時折り読み方が分からない漢字を
聞いてくるmasaに答えながら、
masaの読んでくれるお話に耳を傾けます。
今日、選ばれた本は『生きていく理由』ですって。
前回借りていた本にも‟生”という言葉が入っていたけれど、
この文字に興味があるのだろうか・・・・・
(まさか‟生(なま)”だと思っていたリして(;´∀`))
タイトルを選ぶ理由はわからないままですが
どのような本も、好き嫌いなく読み始めるので、私が若かった頃に比べると
えらいなあ、、と思います。きっと
わかったつもりになっていることが一部分にある大人の方が
選り好みや敬遠の的を作りやすいのかもしれません。
藤本義一氏が綴るこのエッセイは、13歳だった時の終戦時の記憶と
阪神淡路大震災の時の記憶を皮切りに始まっていました。
2度に渡り残酷な風景を見てきた遺体のイメージには
‟この戦時中の記憶の死は、いずれもが悪夢となって残っている。
直にみたこの悲惨な光景は忘れようと思っても忘れることはできない”
と自ら評する、様子が具体的に描かれています。
見聞きした物は必ず重い気持ちになる
内容を敢えて本の最初に持ってきた著者の
戦争を二度と起こしてはならない、という強い思いを
しっかりと伝えようとする覚悟を感じる冒頭でした。
この種の重い内容でも、一人で読むのとはちがって
masaが音読してくれると恐くないのです。
きっと10代の頃の自分が一人でこの本を手に取っていたら
‟こわい。嫌い”と避けていたと思います。
‟読んでもらう”という効果は、一人じゃないという安心感が
いつの間にかともなっている、不思議な情報収集形態なのだと
体験していた夕刻でした。
二人で静かに過ごせる夜の平和に感謝です。
夕飯クリップ☆彡
薄味でつくった『ナスの煮びたし』が良かったです♪