痛みは嫌。でも・・
「もう少し生きていたかったなぁ」と
命のゴールがすぐそこに見えていることを悔しがる叔父の話を
今日伝えられました。
投薬期間でない時は、今もとても元気で
痛みも無くいつも通りに生活している人が
天に召される恐れはなく、ただ残念がっているその心境を思うと
チャレンジングな課題をたっぷり与えられていても
生命がまだ当分与えられているわが身の幸せを認めざるを得ません。
がん細胞は誰の身体にも日々生まれ、無くなりを繰り返しているもの。
心身のストレス(食生活なども含め)が重なることによって
しっかりとNK細胞が働かなくなったところに変異した細胞が大きくなってしまう、
と理解している私にとって、
心の平安を保った生活を送り、豊かで心身共にバランスのとれた叔父の細胞が
どうしてそのようなことになるのか、理解できません。
もう人間的に成就したから、今生の課題は終わり、ということなのでしょうか。
周りにいる人のなかでは、理想的な心の持ち方をしていた叔父に
このような終焉が予告されるならば、目指すところにいきついたら
長生きができない、ということにも受け取れる、なんとも腑に落ちない
天の采配です。
どのような意味があるのか、考えがつきません。
痛みを感じるのは生きている証拠、といいますが、
痛いのはいやです。心も身体も。
でも、痛みを感じなくなるのとどちらがいいのだろう?
そんなことを考えながら、過ごしていた今日1日。でもまた
ありがたき人生。。。