~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

天のメッセージさがし

目の前に現れること聴こえることに意識を高めて
サインや導きを見つけようとしていると、それらしきことを見つけた時
自分がいかに天に見守られているのかを感じることができます。

例えば今朝の私の目に留まったのは、ガーベラの花。
水の上がり方が悪かったらしくて、茎がクタ〜っとなって
全部がお辞儀していました。
それで、他の花と混ぜて生けていた一輪には、ストローでギブスをつくり、
3輪で生けていたほうの子たちは、テープでひとまとめにしたら、
ちゃんと支え合い、それなりに復活。
               
『一人では、立っていられなくなっても、サポート〔ギブス〕があれば一人でも立てる、
数人でまとまれば、安定して立てる。』だから、立てなくなったと思っても大丈夫なんだよ。

そんなメッセージを受け取った気がしました。

masaが取り組んでいた国語のプリントをふと見ると、
『甘えの構造』。。。

悩みがあるのは期待や甘えがあるからだと先日呼んだ本とリンクしました。
‟甘え”があると言われている・・・。

ポストには、転送されてちょっと遅れて届いていた2通の年賀状がありました。
そのどちらも、「今もmasaの○○が耳に残っています」とか
演奏に関する興味や記憶を書きこんでくださっているものでした。

masaの音楽は続けていて良い』っていうことかな。

そして、「私がいなくなった後、masaが私のことを想う時、何を思い出すのだろう・・」
と思う機会もありました。
『あなたはmasaが思い出したいと思うような何かを見せ、聞かせていますか?』

これまで、自分がmasaに伝えたいと思う価値観を態度と言葉で補うことは、
言葉を得意としないmasaへの真摯なやり方だと思ってきました。
言葉を使うほど、少しでも言葉の感覚が広がり、将来的に楽になるかもしれない、
という勝手な挑戦だと半分はわかっているのに、言葉での説明に埋められた日常が
当たり前になっています。
今のまま、私が亡くなったなら、彼が思い出すのは、
どんな私だろう・・・・。
‟お母さん、あれが好きだったな”と
柔らかな表情や、音楽を奏でたり歌ったりしているところを覚えてもらいたい。

『もっと安心して言葉を介さない触れ合いが、今、二人に必要だよ・・』
そう聞こえてきます。

今日私が気づかなかった導きに、明日はもっと気づき、もっと幸せになれることを
感謝して・・。

夕飯クリップ☆彡
            
イワシを蒲焼風にしてみました。