~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

‟2元”を取り払う

予報通りたっぷり降った様子の朝、
お蔭でツルツルだった車道は少し走りやすくなっていました。

それにしても、今日は寒かった・・マイナス4度からどんどん下がり、
山の上ではもう10度近くになっていました。マイナスです。
             

私たちの後に、山に来た7歳の男の子が車から降りてきました。
足早に繋がれていた馬に近寄っていったものの、すぐに引き返し、
別の方へ走りかけ・・・、どうしたのかしら?と思う間もなく
大きな独り言が聞こえてきました。
「う〜〜ん、猫ちゃんとkotaroのどちらに先に挨拶しよう・・・」
   ♡可愛い♡
‟こどもは、大人ほど時間の感覚に染まっていないために
 本来の自分を生きている”、  と言われますが
今日(音8)は『生命あるものと共鳴したい』日なのです。
そんなこと、知らなくても、二個の生命の間に飛び込んで頭を抱えている
‟こども”の力を垣間見た気がしました。

そんな彼ほど素に戻れていないかもしれないけれど、
地上より3百メートル高い山の木々に囲まれ、雪という自然の贈り物に
包まれて寒い空気の中立っていると、自分も自然にチューニングされていくのを
感じます。

自然の中に身を置くと、チューニングされるというのは、絶対的な
エネルギーを受けているからに他なりませんが
山の中の感覚を地上の生活に取り込む一つの方法を今日は受け取りました。

「自然の中には2元はない。」
テレビの中の山の達人が発していた言葉です。
2元・・・つまり、「美しい・美しくない」とか「美味しい・まずい」etc.
ということは自然の中に存在せず、そこにあるものがその姿、その味であること
で一元的、全てが絶対的な存在であると。

ということは、自分の中に2元を生み出さない、つまり何事においても
比較をやめる、ということが自然の感覚を取り込むということになり、
本当の自分の姿に近づくということになるのでしょう。

優劣を常に意識しているようなことは無いにしても、
‟自分が思っていたより遅い”とか、”自分の予想よりできなかった”とか
そういう考え方も取り払っていくと、自然に、全てを許されている本来の
姿が取り戻せるのかもしれません。

夕飯クリップ☆彡