栄光の架橋とな・・・・
今夜は自分の体調もさることながら、masaの失敗発言連発に「大丈夫?」と
思ってしまいました。
9時半に帰宅したmasa、脱いだ靴をそろえながら、
「バスタオル干した・・・あ、靴揃えたね!」と言い直していると思えば
夕飯後の食器を洗い終わって
「豆乳ヨーグルト食べる!」(これは、朝食後のセリフのはず)
「え?」
と聞きなおすと、「・・・じゃなかった。おやすみなさい。」
って、、
言い間違えにしても随分ずれていませんか?
発語に関する脳の機能を何かおかしくしてしまうようなことが
今日おこっていたのかしら?
心配だwa〜〜。
きっと何か他の事を考えながら言葉を発しているのでしょう。
おそらくは、母の心理状態が言わずとして彼にもうつっているのでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆
今朝、ふと思いついて突然、小学生なみの工作をしました。
名付けて ‟栄光の架橋”(#^^#)。
両側に立てた柱に渡したキラキラ星付きのアーチを作り、
ピンクのモールでハートを飾ってあります。
このアーチを目指して四角い積み木を積み上げていきます。
これが本番用ピアノ曲の仕上がり具合。
曲通しを始めてみて、思った以上に曲想のギャップを乗り換えて
それぞれの曲に入ってから弾く、という業がうまくいかず、
練習から数時間空けた最初の演奏で、各曲が現状のベストで弾けたら
‟一回成功”、と数えて積み木を積み上げるという方式です。
積み木は原則1日一個。
出来ていたことが、崩れてしまったら、積み木も崩れます。
どれだけ積み上げても崩してしまったら一貫の終わり、
ということを視覚的に感じてもらうことで
弾き始める前の切り替えの大切さを理解してくれたらいいな、という
作戦です。
こんな思いつきをしたのは、10年ぶりくらいです。
小さいころはよく、masaの理解できる方法を模索しながら
いろいろな教材を工作したものですが、今頃になってこんなものを思いつくとは、
どれだけ自分にプレッシャーを感じているのだろう、と
我ながら呆れてしまいます。
20日の演奏も23日の演奏も、与えていただいたもの。
それを思えば、何が起きても良い結果が与えられているという事は間違いないのだと
気づきながらも、まだその結果を自らの努力で支配したいと思っている
自分との葛藤をまだら模様に客観視している今宵です。