~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

なんとか、もどってきました

昨日の山もりスノーの上に、更に降り積もった雪景色。
でも、masaがランニングに行くと宣言をした時間ごろから
明るい日差しがそそぎはじめ、美しいお天気になりました。

相変わらず胃痛で訴える片付かない心の中を何とかしようと
ノートと向き合い、考えや志を整理して、なんとか床を掃除する気力にまで
回復しました。
でも、既にノートにまとめてみた時点で、すでに頑張ろうと気を張っていることが
masaへの態度にすぐ表れてしまいます。
自分のせっぱつまった‟頑張っている”感の厳しさが
そのままmasaへの言葉の強さに現れて、いつもより口調が強くなるのが早い
(というか、最初から。。)
本番まで数週間となっているなかで、今どこを走っているのかをみる視力が
極度に落ちていて、とても焦った形の反応となって評してしまう自分。

未熟さは承知。
いつも通りのやり方だけではワンステップの昇ることはできないのです。
どのように行動していけばよいのか、
今、与えられている時間をどう使うことが良いのか・・

一旦は、「天の導きに従おう」、と決めて心の安定を取り戻したつもりながら
過日おきた心の事件がもたらされたことそのものが
導きに寄る警鐘なはず、と心にひっかかるので、
どう変わればよいのか、とバックグラウンドで頭のCPUが動いています。
だから、表の動きが全然進まない・・・
いつの間にか出来上がった洗濯物はmasaが干しおわって食器も洗われていました。

しかし、この心境を過去の一過性のものと扱って
向けられた言葉を読み返すことも絶対せずに、ただただ心を遠くへ避難させること
に努力していたら、
約60時間目にして、きょうあったピアノの先生との会話は一応自然にできるようにまで
戻っていました。

夜、テレビから流れてきた映像は、
交番の夜を追った番組で、泥酔者が店の中外で理性をかいた言葉を
並べている様子でした。この人たちのしゃべり方、私が対話を諦めた相手
と同じです。。テレビの中の泥酔者たちは、結局警察官に説き伏せられ
ほどなくふと素直になり落ち着きますが、理性を欠いた人間が、圧倒的な圧力で
まくしたててくる悪夢がよみがえってきました。

もっと平和なものを見たかった・・・。
私が自分で呼び込んでいるのでしょう。仕方がありません。

そして、次の番組では心理学者の先生が
‟視覚的に入力された言葉の方が、耳から聞いた言葉より記憶に残る”と話していました。
メールで見た文章に込められた言葉の強さが、読んだことにより耳で聞くより深い傷になっている理由も納得です。

でも!
今日は夕飯も作れましたから、表面的な傷は癒えていくでしょう。心配してくださったmarie先生、見えないところで心配してくださってくれた天使たち、ありがとうございます。

辛うじて・・夕飯クリップ☆彡