~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

『蓄えを持とうとしない』

11月も半ばを過ぎたとは思えない、穏やかな気温が続いています。

masa に対する態度を改めて彼の内面を引き出すことを
目標に掲げた‟倍音の月"に入ってからもう3,4日経ったように感じていたのに、よくよく見るとまだ2日目。

時間の長短が時計との違和感を感じるときは、
何か密度の高い時間を過ごしている時なので、
注意深く時間を使っているつもりの自分としては有り難いことです。

今日は、13の月の暦の上では『手』に関する力が回っていて、
手間のかかりそうな事は進んでやろう、という分かりやすい行動指針があったので
昨日どのように作ろうかと迷っていた面倒くさそうなパート譜をつくるのは
今日でしょ?、ということで、さっそくとりかかりました。

masaが弾くピアノ譜をそのままコピーすれば手間はかかりませんが
ページ枚数が多くなりすぎて、見にくい、
かといって、普通に休み小節の数だけ書きこんだようなパート譜
慣れない人には個人練習で当日合わせは難しいと思われるので、
あらためて、ピアノの主旋律だけを五線に書き直しました。
こうすると、2ページでまとまります(*^^*)。

masaと合奏してくださる方々がどのグループから何名出てくださるのかも
自ら連絡が取れる立場ではないため、あくまで希望の状態で
6種のパートを設定しました。
はて、これを、何部つくればよいのかしら?

こんな作業に徹している母の姿は
masaの自立心も刺激したのか、‟自分の練習”を感じるmasaの取り組み方が
観られて、そうなるとかなり平和な空気に転じるのは自然な成り行きでした。
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夕刻、masaのレッスン中は、待ち時間にとmarie先生が借してくださった
ブッダ"に関する本を眺め、そこに繰り返し現れる
熱心な修行と清らかな行い”が‟優れた品性と安らぎ”へと繋がると説く言葉が
清らかなシャワーを浴びるかのようなひと時を与えてくれました。

書き留めておくとホッとしそうなワードは書き留めてきたのですが、
この時間になって頭をよぎっているのは、メモらなかった別の言葉です。

蓄えを持とうとしない』こと。

経済的には人生を考えた時、身体が動かなくなっていく老後のための
蓄え、というのは当然建設的で必要な経費であるはずですが、
この『蓄え』という概念が発生するもともとのところは、
日常の思考傾向に大きく影響するものなのかもしれない、と感じています。

つまり、今本当に必要なもの以上の部分への関心が存在し肥大すればするほど、、
今のこの時間を未来の何かの為に案じたり心配したり(し、それを保証)
するための思考に使ってしまう、ひいてはその事のために感情を揺さぶられる
という頻度が高くなるのではないかと。

計画性は大切かもしれないけれど、
経験に裏打ちされた恐れも含まれた‟計画”や‟準備”通りに事が運んでいるかどうか
に神経を傾けるよりも、今できる努力を継続的に行っていることだけで、
幸せに‟生きて行ける”のだと、
そんなことを意味しているのではないかと、そのような解釈がふと浮かび、
自らの状況と重ね合わせて、勇気づけられる言葉に出会った気がしています。

今日の過ごしかたと安らぎに近いものが、これに繋がっているようにも感じています。

帰宅後、ご飯が炊きあがるまで、と少しだけ再会した練習を
9時を指した時計を見て、自ら「やめる」とした凛々しい(?)masaも本日2日目でした。

明日もまた、その時を丁寧に過ごしていきたいと思う今宵です。

夕飯クリップ☆彡
          
           陰に隠れたサンマが、とても美味しかったです。今年は今のサンマが最高かもです。