ミサイルよりも
今朝のミサイルのことを知ったのは9時を回った頃でした。
電話はベッドに持って行かないし、音もマナーにしてあるので
まったく気づきませんでした。しかし、今の私からしてみると、
ミサイルくらい・・と思えてしまうような状況なので、
こちらに飛んでくるなら、今度はこの辺にお願いします。と冗談にもならない
呟きを覚えてみたり。。。
このように、病んでいる私を応援して
弁護士さんをさがしてくれていた友人とのやり取りの合間を縫って
公的機関の法律相談へ出向き、少しづつ自分が置かれている状況を受け止め把握しはじめました。ここから、どのように奇跡を見るのか、それを信じるのみ。
そんな動きについてきて、いつもとなりで話を聞いてくれるmasa。
ありがとね。お腹すいたね。
夕飯クリップ☆彡
ほどけよう、もっと。
お仕事帰りを迎えた私の顔に、笑顔があったのでしょう、
とても嬉しそうに車に乗り込んできたmasaでした。
現実に、良いニュースがあったわけでもなんでもないのですが、
午前中の編み花のお教室の皆様の、朗らかな調子に同化させていただいていただけで、表情がこんなに変わるものなのだな~と
今さらながら気づきました。
ほっとしたような将の笑顔を見て、とても心配な顔ばかり見せている
自分の鏡を見たような気がしました。
夕飯クリップ☆彡
イワシ、油がのっていて美味しかったです。
何がこうしているのか、どこに答えがあるのか
いまだに、今生きているこの今が現実であることを
理解できません。
日々、辛うじてクリアするタスクをこなすことに精いっぱいに
させてもらっている中で、何とか今日の予定を切り抜けたかすかな安堵を通り越すと、
また現実を疑う現実へと引き戻されていく時間帯がやってきます。
‟誠実さ”
これをモットーにして生きてきたつもりです。
masaは、モットーにするまでもなく100%誠実です。
その誠実達が、浮かばれないということがあるのでしょうか。
まっとうに生きているのに、どうして?
全ての出来事は自分の内にある、という言葉が
今はわかりません。。。
将がごはんを嬉しそうに食べてくれることと、
私が明日の準備をできることが、ささやかな今日の幸せです。
そして心を寄せてくださる人たちに、感謝です。
夕飯クリップ☆彡
‟プクプク天使”と原始の植物たち
今日までに、ラッピングして送り出すことまでを自分に課していた
作品2点。なんとか業務遂行できました。
215センチのロングネックレスです。
今回はピンブローチではなく、コサージュピンをつけたブローチです。
感謝です。
夕飯クリップ☆彡
”難題”のない人生は”無難”な人生。難題のある人生は‟有り難い人生
朝食の準備をするために立ったキッチンでは、
今朝も考え事をしては、メモをし、気付くとまた考えている・・・
と繰り返すうちに何もできずに1時間近くが経っていたようです。
その時電話が鳴りました。
珍しい。日曜のこんな時間に。
電話の主は公文の先生。
先月masaが受けた大きなテストが合格していた!と連絡を下さったのです。
良かったね・・・・・。
学校の入試には全然間に合わないけれど、
高校入試の数学を免除してもらえる学校もあるという
資格としてのこのテストは、
今の自分が受けてもかなりシビアな時間制限のなかのテストでした。
本当に合格するとは、・・・・。
男の子。
5月のコンチェルトもそうでしたが、母が全く違うことで翻弄されている間にも、ちゃんとやることをやってくれる。
そして、合格。
ありがとう。君は希望です。
そのニュースを知らせてくださった先生が、家庭菜園の収穫を
分けてくださいました。
大きなトマトがこの3倍くらいとれたのだそうで・・。
キュウリや他のお野菜も農家の作品より美味しいのでお墨付き。
早速いただいたら、生命エネルギーがぎっしり詰まっていました。
ありがとうございます。
こんな言葉が目に留まりました。
「”難題”のない人生は”無難”な人生。
難題のある人生は‟有り難い人生”」
有り難い人生。。。
本当に、その通りだと思います。
夕飯が真夜中になってしまったmasaに、ごめんなさい。
君を守るよ。
ありがとう。
ギデオン・クラインのピアノソナタ、初めて聴きました
今朝もまだ、冷静になってきているつもりでも、
頭の半分が違うことを考えていて、寝不足+集中力散漫でした。
午後を回っても、この状態じゃ車の運転もあぶない・・と
一旦は今日の外出予定をすべてやめることも考えましたが、ただでさえ
いつもの私ではない周りで委縮しているmasaの予定まで壊してはならない、と
予定通り出かけることにしました。
観たのは、杉原千畝という戦時中のリトアニアでリトアニアがソ連に吸収されてしまう
その日まで、ユダヤ人にビザを書き続けたという、何年か前にドラマにもなったあの方の奥様が書いた本が原作の、一人芝居でした。
『六千人のビザ』。
ギデオン・クラインというユダヤ人作曲家が、ナチの収容所の中で作ったピアノソナタがあったというのはしりませんでした。
不協和音が見事につらなった圧巻のソナタ。
セリフだけでは伝えきれないイメージの隙間を見事に補っていました。
数えきれない人々の、、折り重なる魂の叫び・・
恐怖と絶望と、不安を押し殺した中で、時が進んでいく・・そんなおとが
不気味というより力強く、必死に鳴っているソナタを目をつぶってきいていると、
はじめ、
今の私の心の中をそのまま描写してもらっているような、
寄り添われているような気分になりました。
そして、もっと暗く、深く、長い闇を重ねた音楽が、自分のことではなかった・・と
気付き覚醒するような錯覚に陥り、そして、会場をでたときには
大声を出して泣いた時のような、すっきりした疲れだけが残っていました。
私のためにあったような演奏。。
すごくかっこいい曲だけど、決して弾く側になりたくない、
ほどの重い情景が刻み込まれていました。
今、こういう演奏に出会うというこの偶然は、天の采配だったのかもしれません。
最後は、千畝が好きだったというベートーベンの「月光」でした。
この曲、暗くて寂しくなるから今日は聴きたくないな・・と思っていたのに、
極限の恐怖を通過した後に聞く
その曲が、こんなにも静けさの中で守られる癒しを運んでくれるのだと
驚くほど美しく感じました。
そうか、最後はこうして静けさが訪れ、過去となるんだ・・
そんなメッセージを感じました。
超静かなピアニシッシモが豊かな響きで届いてきたので
帰り際に下に降りて行ってピアノを確認し、納得でした。
ピアニストさんの素晴らしい演奏が最高に生きていました。
夕飯クリップ☆彡