~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

疲れは脳が感じているのだ、と言い聞かせる夜

さすがに昨日は寝るのが遅すぎたとみえて、
朝起きたら結膜炎っぽくなっていました。

前日に結膜炎になってしまって・・とサングラスをかけて
テレビに出ていた俳優さんが脳裏をよぎり、あわてて除菌目薬をさし、
それでもやはり重めの寝不足ボケ症状は
頭の10パーセントくらいしか認知機能が働いていないことを
実感する午前中でした。

体操をしたり、庭の雑草を少しきれいにしたり、お風呂の排水溝を掃除したり
と、頭がぼけていても支障がない作業で、徐々にこの世に戻り(^_^;)、
昼食はmasaに冷凍ピラフを炒めてもらって、
やっと午後に復活。
ここからは、間違えられない連絡作業で、もう夕方。

読書で一服したい気持ちをぐっと抑えて、
少しは進めておかなくてはならない制作にかかったら、
また早いとは言えない時間になってしまいました。

寝不足は翌日をスポイルすると
実感したので、明日こそは早く寝たいと思います。

やりがいのあるお仕事と、それができる平和に感謝して。。。

夕飯クリップ☆彡
          

感謝の課題

今、手がけているご注文のレース編みは、
ミシン糸くらいの太さの糸を編む精密な物なのですが、
あらたな課題を太っ腹で任せてくれる旧友の信頼に
感謝しつつ、途中経過の画をお送りしたら、喜んでいただけて、
まず、ホッと胸をなでおろしたお昼、

そのメールと共にとどいていた別の旧友からのお問い合わせを
発見。。。(#^^#)。

先日、その子の手に渡った編み花を見て
声をかけてくださったご友人からのお問い合わせでした。
ところが、これまた、お花じゃない・・・。
しかも、黒。(黒は編み目が見えないの・・・)。そして細い糸が良いということで、、
お送りいただいた資料からみて、かなり明瞭なイメージを持つ
几帳面な方だと拝察し、
新たな課題がまた送られてきたか・・(^_^;)?と、ややたじろぐ私には、

おそらく気負えばすぐにいなくなってしまうであろうチャレンジの神様が
ニコニコと満面の笑みで、課題を両手いっぱいに抱えて立っていらっしゃるお姿が
見えるようでした(^_^;)。

ありがたいことです。

masaの大切なテストまで1週間を切っているので、
少しそちらに目を向けてやらないと、、というこのタイミングであるところがまた
なんとも巧妙な神業。

でも、報酬をいただきながら、学ばせていただけるという
状況が目の前に広がっていることは、やはりこの道に取り組むことが
間違いではないということですから、できるように、
対応するのみです。感謝しながら。

期日はないにせよ、首を長くして待ってくれていることは確かなこの作業を
1日でも早く完了していきたいという気持ちと、身体とmasaのことを
バランスよくしていけたらいいな。

「私は 愛と光と忍耐です」 これを100回。
大日如来、光明、不動明王、のご真言をそれぞれ7回
自分の直径のご先祖様の名前を唱えて、
5分体操をする。。。
そして、水を飲み、簡易瞑想をする。
今朝はこれで、気持よくなった気がします。

心配しなくていい。目の前のことをすればよい。
masaへの夏の遊びのお誘いや集会で、カレンダーが少し騒がしくなる気配の
今月、いかに時間と物質を豊かに感じられるか、
きっとその辺りがもう一つの課題なのでしょう、という気配の今宵です。

夕飯クリップ☆彡
          

今、”命”です。

庭に出たら、四季咲きの第二弾がちらほらと、咲き始めていました。
固いつぼみがかわいい・・。
            
そして、どうやら撒く時期を逸して種を弱らせてしまったのだとみえる
インゲンにも、やっとお花を発見♡。
          
小さく、はかなく見えるものが、なぜ人を惹きつけるのか、
それは守ってあげたいという母心ではなく、これから咲くのだという
エネルギー満々の最も強い子たちだからなのだと、そういうものを
求めている時には特に感じます。

咲き誇る紫陽花の大輪よりも、ぐっとくる、生命力。

そういえば、今年傘寿を迎えた加山雄三さんが、
昨日の歌番組の中で、この人生を漢字一文字にすると?という投げかけに、
  『  』
と書かれていたのが印象的でした。

時に命の一部を削り、また命をいただきながら、
一日ずつ命を繋いできたから今があるのです。
戴いた命とは、身体の為の食物もですが、親たちの人生の一部も呈してもらって
今の私があるのだと、しみじみと感じていました。

偶然父親のバースデーに間に合うように、今日発送するカードにも、
その感謝の思いを目一杯書きました。

そしてこれまで、私が買えるようなもので、喜んでもらえる物を探すのは
難しいと思っていたこの何十年を廃し、何かちゃんとしたものを贈らなければ、
と思いました。
(思うのがちょっと遅すぎる・・・)


‟命”というと、病気や生死に視点がいきがちだけれど、
本当は、毎日が命。今が命。
そして、体が伴っていること(魂だけじゃないの。)が命。

そういうことをつくづく実感されて、
加山さんの答えは『命』となったのだと、解します。

こどもとの時間も命。子どもの命でもある。
時間を共有してもらった仲間との時間も命。
偽りの時間に命を分け与えるのはよそう。
偽りを人に与えることもよそうよ。
与えられた側の人の命の一部を汚したシミは
戻って消すことができないから。
命は繋がっているから。

でも、一番忘れてはいけないのは、‟今が命”であること。


どの時間も、全部『命』であることを、ちゃんと覚えておこう。
そうすれば、もう少し今(=命)を大切にできるでしょう。

夕飯クリップ☆彡
         
 

12号のレース針で・・

今日は、頼まれているレース編みの設計図に本腰を入れ直し、
リボンと紙で、編み図ならぬ制作模型を作るところから始めました。

形が固定されているデザインではないので、
茎と葉を繋ぐ枝の長さのバランスだけで全てが決まっていきます。
リボンに2ミリの幅に切り、2ミリ間隔の目盛りをつけて、
これを一目分とし、紙で切り抜いた葉っぱの房をつけながら、
茎の長さのバランスを決めていきます。

初め、太い糸で試作しようかとも思ったのですが、それにしても
かなり時間がかかりそうだったので、模型を作るという初めての方法を決行。
                
目と爪の耐久度からいって、休み休みやっていかないとできない作業では
あるのですが、でも、やはり、全貌が見えてこないと落ち着きませんし。
自分には縁がないと思っていた12号という、スタンダードなレース針としては
最細の針と、しばらくお友達になりそうです。

       ☆    ☆    ☆    ☆   

お蔭で、masaの今日のピアノレッスンは、それなりの穴だらけの出来でした。
やはり、ピアノ部屋に一緒に入る時間が少なすぎた・・と、反省。
バランスが難しいな。

今朝は、‟こどもは1日400回くらい笑う。これに対し大人はその30分の1”
という記事を見つけました。それで、静かにしている時も、声を発する時も、
自分の笑顔チェックをしよう!という、隠れテーマのなか、
これがなかなか難しくなっていることを改めて感じました。

このテーマ、明日も続けて掲げようと思います。
皆様、健康で平和な夜を。

夕飯クリップ☆彡
             

買い取らせていただける不要なお品、ありませんか?

昨日、更新したつもりの記事が、下書きにそのまま残っていました・・・。
意識に上がっていた以上に、細かい作業に酔っていたようです。
今日あらためてアップするまでもない内容でしたので、割愛させていただきます。


さて、
少し前にも、こちらに記しましたが
最近、居住区にランダムにかけていると思われる
「買い取らせていただける不要なお品、ありませんか?」系のお店から
しばしば電話がかかってきます。

先日かかってきたお店は、狸小路に昔から所在しているお店だという事で
何となく得体の知れなさが薄らぎ、
処分したいと思っていた加湿器と小物家電ならあるけれど、
すごく古いですよ(新品ですけれど)と、話していたことが
記録に残っていたのでしょう。再び、「加湿器があるっておっしゃってましたよね」
と電話がかかってきて、
それだけでいいのなら、ということで
玄関のドアをあけることにしました。

「靴や着物やお洋服やバッグも」と熱心におっしゃっていたので、
やはり、いらっしゃる時間がわかっていると、準備しようとする心理を
うまく利用されていたのか、
玄関先には、当初話していた小物家電以外に、
バッグや靴が待つことになりました。

電話のお姉さんの雰囲気ほどではないにしても、
それほど警戒心を抱かせないタイプの男性がいらっしゃいました。

結果的には、私が電話で言っていた家電には
新品の加湿器が100円、それ以外は持って行けばお金がかかる、と言われ、
やっぱり、思った通りでした。

でも今日は、モノを処分するには良い暦だったので、
バッグやくつを並べたら、バッグは4点全部お持ち帰りになりました。
(ノーブランドの新品2点、ブランドの新品1点、中古1点)
少しでも家の中にスペースができたし、自ら悪い気の漂うリサイクルショップに飛び込まなくても良かったことを思えば、よかったのかな、とは思いましたが、

その方が帰った後に、残されていった‟残り香”ならぬ
‟残り気”がかなり我が家の玄関に残ってザワザワしていることを暫く感じていました。
事前にお線香をたいて、事後にお塩をまいても、手ごわい気でした。
この手の仕事をする人は、どうやって、自らの身を守っているのか、
カブトムシみたいな甲羅を被っているのでしょうね。。きっと。
尊敬に値します。

どんな電話がかかってきても、
どんなに心が弱っていても、この手の訪問客には二度と来てもらわなくていい、と確信が
持てただけでも、スペースを占めていたものをどなたかに使っていただける市場に
出せたことと併せて、よかったのかな、と思うことにします。

昨今、遺品整理をしたい人が多いのですね。きっと。
それで外回りする業者が増えてきたのかな・・
居ながらにして、世の流れを学習した1日でした。

夕飯クリップ☆彡
     昨日  
           今日

極小の野花たち

緑が輝くきれいな朝でした。


夏の盛りが過ぎると急に増えてくる虫の姿。
もう、草原は虫の天国状態です。大きなアブが暴走族のように飛ばして
目立っているけれど、しゃがみこんで観てやっとわかるような小さな虫も
一生懸命生きているカミキリムシも、・・。夏を感じる風景に引き込まれて
小学生のごとくしゃがみこんで地面とにらめっこしていました。

野に咲く花は、タンポポヒメジオンなどだけでもうほぼ終わったかな、
と思っていたのに、地面に顔を近づけてみると、ごくごくミニサイズの
かわいらしい花たちがとても可憐に咲いているのを発見しました。
         
紫色がとてもきれいな小花、直径は6ミリくらいでしょうか。
花びらんが凛としていて、とてもきれい。名前が分かりません。

小さなお花を食い入るように見つめる私の姿は、
きれいな貝殻を探して浜辺にしゃがみこむ姿に似ていたかもしれません。

そして、とっても気に行ってしまったもう一人のこの子、
          
サイズは上のお花とほぼ同じくらいで、とても小さいです。
その小さな小さな作りのなかに、とっても複雑な花びらがついている。
細い花びらが二つくっついたみたいなものが5弁。
なんていうお花かよく調べたくて、一輪だけ摘んで持ち帰ってみました。
さすがに野生。
少しの水分で凛と命を保っています。でも、午後からもうお花はすっかり閉店状態。
           
閉じてしまうと、花びらが中に隠れていることさえ見えず、
額でしっかりと包み込んで、花であることも見せない、お堅い小花です。
益々可愛い〜。

近くにひとり咲遅れたらしき赤ツメ草も、我が庭で見飽きていたはずなのに
ピンクがひときわ鮮やかで、とても見事だったので、思わず撮影してしまいました。
              
こんな地面の花たちに引き寄せられるのは
夜にふと感じる秋風のような気配とともに、ふと寂しい雰囲気が
心の中に炭酸の泡のように、出ては消え、出ては消えているからでしょうか。

帰り道、立ち寄ったお店で、これまたくすみのないガクアジサイが、
オートクチュールのドレスのように咲き誇っている姿に迎えられました。
          
先ほどの小花からみたら、恐竜サイズ(^▽^;)ですよね。
この子の世界では、自分のサイズがスタンダードだと思って
当たり前に生きているのでしょうね。

何だか人の価値観に似ている・・。

どちらのお花たちからも
それぞれ別の意味で元気をいただきました。

夕飯クリップ☆彡
            

           

流しそうめんで ‟右脳やや優位”の症状はこうなる

うっすらと汗をかいては、それが身体を冷やしてくれることを体感しながら
太陽の光を浴びて、足を使っていると
自然と身体はリフレッシュするのだと、実感した土曜日でした。


そう。
今日は、『森の家』の広場で‟流しそうめん”でした。

masaが小学校1年生の頃は焼き芋だけだった季節イベントに、
いつのまにか流し素麺が加わってから、15年くらい経つでしょうか。
毎年参加ではないにしても、片手くらいの回数はこれまで行ったはずなのに、
これまでいつも、到着した時にはそうめんレーンは完成されていて、
ただ、流したり食べたりするだけでした。

でも、今朝は、広場に着いてみると、誰もいない。

「えっ!?もしかして、場所を間違えてしまったのか?」と慌てて形態をとりだしながら
森の家の中に恐る恐る入ってみると、
・・・・いました。。。
まだ、賑やかな年頃の子どもたちを含む家族が数組到着していなかったようで、
大人と中高生だけで、日陰に避難(^_^;)している風景は、こんなにも
無音なのですね。「なんか、怒ってる?」と言いたくなるほど、
‟元気いっぱい”なわけではないのは自分だけではなかったことに、いささか安心。

ということで、そうめんレーンも急いで組み立てなくちゃ!みたいな
気配もなく、まずは、子どもたちが揃ったら水遊びに行ってもらって、
1時間半くらいかけて準備をすればよい、という感じだったみたい。
数年来ていなかったので、段取りも変わっているのでした。

お蔭で、初めてのそうめんレーンの組み立てに参入。

あるのは細い角材を2本、針金で一か所巻いただけの自立できない支柱が2組だけ。
これをなにで支えるかはこれから探す・・・という感じで、
いいな〜・・・この、仕切る人が段どっていないのんびり感。。

あちこちで拾い集めたもので支柱の重しを組み立てて、なんとかスライダーが
完成するまでも、結構楽しかったです。構造物を作ろうとするときの、
お父さんの見方と女性たちの視点にかなり開きがあることを発見したのも新鮮でした。
よく、女性は地図が読めない、と言いますが、それと同じような事です。
そして、
その意味では、今回も私は男性脳なんだな〜と確認。
だから、この作業もとっても楽しかった(*^。^*)です。
           
出来上がった、レーンで約30名の親子が入れ代わり立ち代わり
色んな太さと色のそうめんを堪能しました♡。
     
ここで、masaがレーンの右側に立っていることに着目!

これまでは、右手が傾斜の低い方にくるように立つことを
私がmasaに教えていたこともすっかり忘れていました。
それで彼は空いている側に自然に立ったのだと思うのですが、
面白いことが起こりました。

左手にお椀を持っているのに、流れてくるそうめんをとろうと反応するのも左手
らしく、しかしお箸は右手に持っている、というところで脳が混乱して、
両手が膠着してしまうらしいのです。
ぜんぜんお箸を出さないのでおかしいな、と思って、
「お椀もっていてあげようか?」と左手をフリーにしてあげると
右手のお箸を動かすことができるのです。
でも、またお椀を左手に持つと、右手が動かなくなるらしい。

以前は、お椀を持ったまま取れていたのにおかしいな、というところで
初めて、右手が使いやすいレーンの方に移動させてやることを思い出しました。

反対側に立って、幸せになれたらしいmasa(*^-^*)。
たくさん食べていました。

でも、私たち普通に右利きの人間は、
左手の方が低くなっている側に立っても、取りにくさはあれ右手で反応できるのに、
masaの脳は右利き度が低く、反射的に左手で対応しようとする脳が今だに強いのだと
新たな発見でした。

スイカ割りで食べたスイカもとっても甘かったし、よく冷えていたし、
たっぷりあったし。
ついでに、健全な家族ユニット(ここでは、こどもがまだ子供で、親が
子育てに全身を提供し、その役割を父親も楽しんで休日を過ごそうとしている
という定義です(*^。^*))が7〜8家族いて、誰が幅をきかせることもなく
みんながそこに居る、という空気は日常生活の中に、まったくその手の‟気”と
縁のない者までも、健全な心身にリセットしてくれる作用があることも実感しました。

とても気持ちよさそうに森を眺め、噴水を眺めていい顔をしていたmasa
印象的な1日に感謝です。

夕飯クリップ☆彡
         
      今年初めての朝どりトウモロコシが食卓にのぼりました。