~音楽と自然の力につつまれて~ e.w.Hanaの記録

幸せになりたい!幸せを分かち合いたい!言葉ではうまくコミュニケーションが取れないけれど 音楽はできる青年との暮らしの中で、 目の前に起こる出来事をどのように受け止めるか 自然の力や音楽の力に癒されながら模索していく日々の記録です。

花火、一玉

朝、予防歯科の予約の後、久しぶりのヘアカットの予約が入っていたmasa
その合間を縫って、「ランニング行ってくる!?」と言うので、
時間ギリギリでしたが、「行ってらっしゃい」

帰り着いてから、水分補給をして、汗がおさまるまでに予想通り15分を要したものの
なんとか次の予約時間に間に合いそうでした。

歯科は南へ3分、散髪は北へ3分。
夏らしい雨が時々降っていて、夜の花火大会は決行できるのかしら、
なんていう空模様でしたが、こんなお天気の日も、
傘もささずに、歯科、ランニング、ヘアカットの全てをお昼前に済ませられるのも
地の利です。感謝。


せっかく‟イイ男”風になったmasaですが、今日の花火大会にゆかた姿の彼女と
出かける予定があるわけもなく、4時過ぎにまだ降っていた雨に、半分中止もありかと
気をゆるしておりましたら、
「どど〜ん!」
と聞こえてきました。

8時からとおもっていたので、10分早いから違うかな?と
呑気な私。また、音が聞こえて、初めて「始まってる!!」と認め、
音だけ聞いているのも、寂しいので「行こうか!」と
そのまま、窓を閉め、上着を羽織って、路面電車に飛び乗りました。

あまり近づきすぎると人が多くていい場所で見られないので
少し離れて、視界が開けているポイントをめがけました。
着いたのは開始後20分。
後半の部がちょうど始まったところでした。

7月に入って、ここまでビックリするような暑さの日もあったのに、
花火大会の日は本当に寒い日が多いです。
今日も川べりは気温20度きっていたかもしれません。

過去の花火大会の日を思い返しながら、
夏服の上に上着を2枚はおった姿で、masaと二人並んで立ち、
また花火の夏が過ぎていくことを感じられて良かった。
来てよかった・・・。

しかし今年は、その豪華な恩恵をかなり具体的に感じてしまった私(^_^メ)。

打ち上げ花火の連射を数えながら
「10万、10万、20万、30万、・・あ、80万か?」(*´▽`*)

空ではじける花火の玉を一瞬で花開いて消えていくお金のおダンゴのように
見立ててしまった私の精神は、今年ならではの歪みでしょうか。
あっという間に何百何千万になっていく〜〜〜、あら、もう車一台!とか。
いつもは、花が咲いて行くように見えるのに、
今年は何だか調子がちがいました。やはり、適度に病んでいたのでしょう。

かと思えば
老いも若きも、富める者も貧しきものも、平等に夜空を仰げば
楽しむことを開放されている花火の伝統って、
分かち合いの精神の象徴だな・・・などと、感心したり、
ありがたさが身に沁みたり。

混雑を避けて、徒歩で帰宅する道すがら、
世界でも、花火が安心して楽しめる平和を維持している国でなければ
こんなお祭りはあり得ないこと、
同じ日本といえども、何千何万発と花火を打ち上げられる自治体は
限られている話をしたり、‟5分に1発”みたいな超ローカルな花火大会の
思い出を話したりしていました。そして、このように花火の音を聞いてから
家を出て、歩いて帰れる場所に住んでいることを
本当に幸せね・・とmasaと確認していました。

この夏を迎えるまでの様々な出来事を、
あぶり出し、清め、最後はただただその美しさにため息と歓声を
上げることを許してくれる花火を今年も観ることができました。
無形の豊かさに興じながら、
住居のロケーションという無形の豊かさをふんだんに与えらえていることに
あらためて感謝する1日でした。

体幹リセットとmasaの氷

窓を開けて寝たわけではないのに、朝5時に外で会話を交わす
ご高齢のお散歩帰りを目覚まし時計のごとく耳がキャッチし、目覚めました。
昨夜の就寝時刻がいつもの水曜日より早く、12時前だったことで、
こんなにも寝覚めが良くなるのか、と驚きました。

このところ続けて3分の遅れの為に乗車できなかった地下鉄にとても久しぶりに
乗ることができました。
その時刻のその車両を利用するメンバーがすっかり変わっていたように感じました。

夏休みなのに、以前より利用客が増えているような気がしました。
masaを送る方向も、とんぼ返りで引き返す方向も、乗車率が増えていました。

地下鉄を利用する人が増えた?のでしょうか。
何が影響しているのか、把握しきれず、違うパラレルワールドにスリップしてしまったような感覚の朝でした。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


午後にはちらっと立ち寄った書店で、気になる本を発見。
体幹リセット』という言葉がタイトルになったダイエット本でした。


モデルさん達は使えているけれど、一般女性の多くが使えていない筋肉の総称
を「モデル体幹筋」と称し、これが使えるようになると基礎代謝がアップし、
脂肪燃焼体質になるのだとか。

ページを開くと、痩せたいところをエクササイズで太くしてしまう構造や、
誤ったエクササイズの考え方から説明されていて、
かなり新鮮な内容でした。大切なのは全身の筋肉を
バランスよく使えるようになることで、
トレーニングもやりすぎは禁物なのだそうで、
エクササイズのやり方も、変わった形です。

初日は一種目だけやる、となっていたので一つだけ覚えて帰宅。

やってみると、意外に効いている感じで、信憑性が高まってきました。
明日もう一度、求めに行って来よう。

お水の重要性もあらためて認識。
そういえば、masaがお水や炭酸と共に毎日欠かさず食べる氷を
以前はマグネシウム・カルシウムの補給を兼ねて‟コントレックス”を
使っていたのに、半年ほど前から、普通の水にしてしまっていて、
masaの爪がボロボロと欠けたり二枚になったりと、カルシウム不足が
顕著になってきていたのがその頃と一致していることにふと気づきました。

勝手に紅茶の飲み過ぎと乾燥だと思い、最近は数杯の中の一部をノンカフェインの紅茶
にしたり、ネイル用のクリームを塗ったり、と気にしていましたが、
実は原因はそこではなく、何気なく‟コントレックス”氷で
補給できていたカルシウム分が採れなくなっていたことだったのたかもしれない、と
急遽、コントレックスを再開しました。


こんな風に、いつも通りの時間をすごせるように
心が平穏を取り戻したことに、何よりも感謝です。

夜は
白い葵の花を編んでいました。。。
ネックレス?イヤリング?コサージュ?何にしようか、迷っています。

夕飯クリップ☆彡
         

気づきを得たい

『最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である
           チャールズ・ダーウィン
という言葉を見つけました。

受け入れるだけでは不十分なのか・・・。
それを消化し、自分の中で糧にするということは、
自分の外的環境を変化させるということなのだとは、思考の中で直結していなかった私にとって
別の所から発せられたある投げかけとともに現れたこの言葉が刺さってきました。

環境(の変化)にどれだけ適応できるか、そしてその努力をするかは大切だと思います。
それが分かっていても、その努力がなかなかうまく解決に結びついていない、と
感じる時が最も停滞する時なのだと思います。

環境のせいにばかりしているわけではない、
その現実が自分へのギフトであると受け止めたうえで、
自分が可能な方向を広げていく。

これで、大抵のことはうまく行くはずです。
自分が動いていけば。

それでも、追い打ちをかけるように変化を迫られている時、
自分の中での変化だけでは追いつかないとき、
何を優先して考えれば良いのか、
そこで詰まってくるのだと思います。

特に子どもの人生観に関しては、
裏切ってはいけない、という慎重さがガンとしてそこを動きません。

自分の中で変えられるものは
多少の苦痛は覚悟し、勇気をもって変える努力をしてみましょう。
しかし、
masa自身が作ってきた彼自身の周りはよい事が集まっているので余計に、
そこは今の状態でOKなのだ、というサインに見えるのです。

しかし、again
今がうまくいっていないということは、何か変化させなければいけない
。。というメッセージを目の前にすると・・・。

黙って受け入れ、少しでも早く慣れる、ということで切り抜けようとすることを
非とするということならば、もう少し分かり易い、
明るいヒントをもらいたい、と思う今です。

‟柔軟性”という言葉を自分の生き方のどこにあてはめて考えているのか
これも観点かもしれません。

柔軟すぎる環境の中で年をかさねて、
その反対のゆるぎない環境で育った人のみが持つ、一貫性・大安心に憧れた大人が、
自分の人生の中では、我が子へは達成しようと目指していた、その目標さえも
変化させることが、自分らしさに繋がっていくのだろうか・・・。

そんな問答を繰り返す中、

ダーヴィンの‟変化”という言葉が示す時間的スパンは、
精神的な安定感を欠くような急激な変化ではなく、
ゆっくりゆっくりの、体と心が耐えうる速度での”変化”なのだということに
ふと気付きました。

「はい、あなた、明日から変わりなさい。
はい、あなた、明日からあれはありません。
  
状況が変化しました対応しなさい。」

そういうことで生物が進化してきたのではないのでした。
そんなに急に、道を直角に回るように、
続いていない道を横に飛び越えるように、言われても
体と心が付いていきません。骨折です。

状況を具体的に理解し、できる事を整理し、動いて準備する
という順序のどれ一つを欠いても、積極的な判断をしていくことはできません。
そして、
各々がそうした自らの対応を判断するベースを与えられることこそが
”人権”という言葉に当たるのだと思います。

例えば人権を侵害されている、人がいたとして、
そこから離れなさい、と言われて
離れられるだろうか。
変わりなさいと言われるだろうか。

『自己変革』という言葉をどのようなレベルで捉えるのかということを
考えることは、結局は動いていないことになるのだろうか。。。

自分の不安の元は何か。自分は何を考えていまこのような状態になっているのか。
自分が大切だと思うことは何か・・。
masaには嘘はつかない。隠し事はしない。
その事だけを、彼に話しました。
彼にわかる言葉で、母のうつろいを、語りながら過ごしていた夕べです。

夕飯クリップ☆彡
             











この身をいただいて生まれ落ちていることに感謝しよう

今日は、心配事を忘れるために、
いつもの公園にウオーキングに行ってきました。

虫や鳥の声を耳にしていると、1日、1年を一生として生きている命達に
励ましてもらえます。

まだ明日も命をいただいていることに、感謝しなくっちゃね。
        
アスファルトのコースよりも、草の上をたくさん歩きたかった。
柔らかく、足に伝わる微妙な起伏が
自分が護られていることと、これまで歩いてきたことを思い出させてくれる・・・。

今日が終業式だった札幌。これから夏休みだというのに、
気の早い葉っぱが落ちていました。
          
まだ明日が冬でない事を
もう一度感謝して、『時間を外した1日』と言われる今日を無事に通り過ぎようとしています。

夕飯クリップ☆彡
              
      公文の教室にダンボール一杯で持ち込まれたと言って、分けて頂いたミニトマト
       キッチンのボールに山盛り一杯でした。
       とても美味しいのに、市場に出せるサイズになっていないのだとか・・。
       この日本、農家で余っている食料がこんなにあるのだと、考えさせられました。

アリスの迷宮の夜

人の心のエネルギーというものは、
密度の高い愛のエネルギーに満たされた満タン状態をも
かくも容易に吸い取り塗り替えてしまうほど感受性が強い物なのだと
感じる1日でした。
ネガティブな記憶に通じるたった一つの出来事で、
そこにあった花たちの色は、薄墨色に塗り固められ、
平静を装う表情も、かたくこわばってしまう。

ああ、そういえば自分の紋章は、
自分らしさを切り開いていく前提において、
心の状態が特に大切なのでした。

自分の心に浮かんできたものを、
「あ、浮かんできたな」と客観視し流していく、というマインドフルネス的
エクササイズに少し慣れてきたと思っていたのもまだまだだったと、
試されてみてわかります。

masaも静かに私の表情を伺いながら、ベッドに行きました。

「大丈夫大丈夫」と言いあえるパートナーであれば、どれほど違うことか。
コミュニケーションを閉ざされるということから放たれる不安感は、
攻撃されるよりもはるかに深く、強力な魔力で乗り越えようとする時の力
を奪い取っていきます。

アリスの迷宮の夜。
       ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
それでも、いいい事もちゃんと用意されていました。
その昔、地区大会の優勝者同士で組んだはずのダブルスで、芽が出なかった
とあるペアの片割れが、〇〇子〜〜♡、と、
編み花購入をきっかけに、プライベートメールをくれました。

現役時代は、遠いような近いような、存在で、
仲は良かったけれど、互いの深いことを話し合う時間はないまま
それぞれの道へと別れてしまった彼女が、本当に懐かしそうに私の前に現れたことを
喜んでくれていました。
それだけが、今日の救いです。


夕飯クリップ☆彡
            

特別な夏ライヴ

masaがピアノで弾き語りをするきっかけを作って頂いた高校生の頃より
毎回参加していた夏ライブに、今年は初めて観客として伺いました。

少なからずmasaも心が揺さぶられることになるのではないかと、
観客として伺うことさえも躊躇していた私の心を
当日までの時間の中で、ほぐしていただいた皆様を
信じるような思いで足を運んだ午後でした。

歌詞ののる‟歌”とは、このように語りかけ、真心をあらわにし、
なぐさめに情熱を込めることができるものなのだよ、と
教えてもらったような気がする、

かけがえのない仲間たちを感じる、
特別な3時間でした。

七夕期間(北海道の七夕は8月です)ということで、前年より登場していた
七夕飾りに飾らせていただく短冊を選び、
「お願い事を書いて?」とみんなに見守られながら、masaが何と書くのか
何か、書けるのか、ただまかせて見守りました。

これからも よろしくお願いします。

これが彼のお願い事でした。

彼が言葉で表現できる精いっぱいの気持ちが、空にも伝わるような
一言。ありがとう。

一度に書き連ねられない、様々な素晴らしい事がありました。
歌を含めて。
        ☆    ☆    ☆    ☆
その中で、帰宅後話題にしてみたtoraちゃんとmasaの対面のことを記したいと思います。

最初から、大きな、立派な男の子であることを、
1年くらい前、半年くらい前、と写真で拝見していたその、‟実物”が
来場していたことを、休憩時間になって初めて知りました。
あまりに静かに聞いていたのでわからなかったのです。
1歳と4ヶ月です!
それで、この大人ライブをこんなにも静かに聞いていられる彼は、さすがの
ママの血を引きついでいました。

そのtoraちゃんを充分触らせてもらったところで(*^-^*)、
masaを連れて行ってみました。お互いに何を感じるだろう、という興味もあり。

もともと、masaは小動物もですが、小さな壊れそうなサイズの赤ちゃんが苦手です。
恐がっているように見えます。
数年前、生まれたてのakariちゃんを抱っこした時も、
とてもとても恐そうでした。
その赤ちゃん本人が、自分で勝手に動きしゃべるようになると、
それなりに対応するようになるのですが、無抵抗な赤ちゃんを怖がります。

何を感じて恐がっているのか、その真意が知りたくて
toraちゃんではどうだ!っていう感じで、連れて行ってみました。

すると、がちがちになっているmasa

そのmasaを見て、toraちゃんも大警戒。
二人のにらみ合いが約60cmをあけて続きました。
自分にむやみに心を許さない大人を初めてみた事でしょう。

女の子の場合は、そんなmasaを見て、自分から手を出してくるような
余裕がありますが、男の子はさすがに(かなり大らかに育っていそうな彼でさえやはり)
自分の身を守る本能があるのでしょうか。
嘘をつかない心の持ち主同志が見つめ合っている絵は、なかなか記念すべき
初対面でした。

人の子と一緒にしては申し訳ないのですが、
masaはmarie先生のお宅にいる、限りなく人に近い感じの黒猫ちゃんのことも
今だ、恐がっています。吠えないし、騒がないし、静かなのに。
それで、toraちゃんとモーリーとどちらが怖い?と聞いてみました。

しばらく考えて(両者、いい勝負のようです)
「toraちゃん。」という答えが返ってきました。

彼が発する気の純度の高さが、きっとその答えとなったのでしょう。
将来が楽しみです。

特別な夏ライブ。
こんな夏もあったね、というには充分すぎる素晴らしい歌と仲間との
再会の場に心から感謝です。
           
        お客様が抽選対象の‟お楽しみ抽選会”の特賞はメロン! 
           初めての入場チケットを手にしたmasaの手に、戴くことになりました。
           なんとも、何とも、ありがとうございます。

夕飯クリップ☆彡
              

水着が

五月の半ば頃に植えたトマト苗の実りが、赤くなりました。
marie先生からいただいた『けっさく』という品種です。
          
普通のミニトマトに比べて、果肉の厚みが全然違っていて、
初めて口にした時の印象は、
一つ一つがどっしりした感じの、フルーツに近い感覚の触感で感動しました。

我が家で育った『けっさく』達は、どうかな。。
       
と楽しみにして、冷蔵庫で冷やしました。

夕飯の食卓に上がったご馳走トマト、かなりいい線いってました。

夏の記憶にまた一つ、美味しい思い出ができました。
自然の恵みに感謝です。

     ☆    ☆    ☆    ☆
ところで、今日はmasaのプールの日でした。
いつものように、時間の後半になってから、ギャラりーから様子を見てみますと、
なんか、見覚えのある水着と、少し違うような・・・。
ああら・・・
なにか、違うものはいてるぞ・・

帰宅し、洗い終わったスイムウエアとタオルを干しているのを見て、納得。
ランニング用のショート丈のウエアでした。
これもぴっちりしていて、かなりタイトだったはず。

それを、アンダー用の水着+いつもの水着の上に
重ねて履いていたらしい・・。
ずい分厚着してたのね。。。

なぜ、プールのバッグの中にこのウエアを片付けてしまっていたのか
(私ではありません(^▽^;))
そして、バッグの中に見つけたmasaが、これも着るのだと、思ってしまうところが
彼独特の判断です。
本日のはなし、前のコーチとだったら、きっと気づいてくれて笑い話になった
ところでしたでしょうに、、この‟おちゃめ”に気付けたのは
残念ながら私一人でした。

せめて、この場でシェアさせていただきます(^▽^;)。

夕飯クリップ☆彡